協会の歩み / Association’s history


 

協会の歩み
2002年までのロシュ空手クラブの数奇なものがたりはミカエル・ミロン選手の経歴と切り離すことができません。
クラブはミカエルの父ミシェル・ミロンによって息子がフランスの空手及びその他の武道連盟の加入をはかりやすくするように設立されました。息子は8歳から父親に従い、友人の指導の元にロワール川のほとりのアンボワーズで空手の訓練を開始しました。
ロシュ空手クラブはミカエルが12歳の1984年にできました。
1901年の法律に準拠した会でしたが当初はほとんど私的な組織で、4人の委員と3人の生徒で名目上のクラブのように開始されました。最初の訓練はランブラルディ小学校の中庭で週に2回行われました。
ミカエルの最初の国内表彰でロシュ空手クラブは評判を獲得し始め、年々国内、ヨーロッパそして世界の武道場の試合で勝利を確実にしていきました。
1986年に、クラブはグラン・ヴオー(COSEC)道場の分野にみなされ、柔道と合気道のコースもできました。

二人の先生が交代で引継ぎ、登録者は30人になりました。

数年の間にロシュの町が比較的地理的に孤立していることもあり、4人の先生と2人の助手が後に続きました。この状況はクラブが独自の幹部を形成し、ミカエルが父の後をついで第一人者になるまで続きました。

 

1985年ミカエルはより特別の可能性を表現する「型」に専念するため格闘技をやめました。(戦いには技を磨き、最高を極めるには型を体得せざるを得ないと父は説いた。)彼は1988年にフランスの型の最初のチャンピオン、1989年にはヨーロッ パチャンピオン、一方では国内のタイトルを積み重ねました。一方クラブ員の数はほぼ60人の公認の選手を出すまでに増加しました。

1990年にミカエルは世界シニア選手権上級部門で三位に入りました。
以来彼は(青少年スポーツの)ブルー契約を介して教えるようになりました。彼の父は1991年に退職すると空手当局に全力を注ぎ、県の会長、そしてTBO連盟の副会長に就任しました。
アンドル・エ・ロワール県には以来40の空手クラブができました。
公式の大会がボランティア団体さらにブロワの地域道場でも行われるようになりました。
研修会の成功と公認の選手の増加、これらの新たな連盟の仕事に助けられ、ミカエル・ミロンは県が彼の固有の道場を持つことを希望しました。
必要な財源を得 た後、彼はデカン市長の新たなロシュの自治体をなんなく味方につけました。 アニエス・ソレルのエリアの一階に練習の空き地をみつけました。 このようにして1998年10月3日に県営ミカエル・ミロン空手道場の落成式が行われました。

 

2.ロシュ道場とパートナー組織の銘板

1.1998年10月3日県営ミカエル・ミロン空手道場の落成式    記事閲覧はここをクリック

 

1993年、アルジェでの世界カップ大会の勝利の後、ミカエルは彼のクラブの協力で空手の年間セミナーを企画することを願い出ました。これらは1994年以来実現し、毎年聖霊降臨祭の週末の3日間、ロシュの町はフランスのほか、イギリス、ルクセンブルグ、ドイツ、スイス、スウェーデンから300人以上の空手家で一杯になり、彼らがロシュの王国の町に貢献することになりました。 (ルネサンス・ロショワーズ新聞の記事を見るためにはここをクリックしてください。)

 

3.聖霊降臨祭の研修会での座礼。ロシュ(37)

この成功によってミカエルとクラブは夏の研修会を企画することも決めました。毎年7月の最初の週にカネ・アン・ルシオンでの研修会が2002年まで行われ100人に 及ぶ空手家がそれぞれのプログラムに参 加し、この成功によってカネの自治体はイベントとして協力を支援しました。

4.カネ・アン・ルシオンでの研修風景

1996年、フランスはパリでヨーロッパ選手権大会を開催しました。ロシュ空手クラブはバスをチャーター:50人の会員とサポーターがチャンピオンを応援するためピエール・クーベルタン競技場まで付き従いました。 そのときの雰囲気はテレビに放映されたロシュ空手クラブの画像でおわかりいただけるでしょう。

1999年、ミカエルはクラブを取り仕切ることになりました。

国内の勧誘にもかかわらず彼は自分の町と当初の組織をかたくなに守り通しました。その年の9月クラブは190人、そして翌年は200人以上の公認の選手が出ました。

2000年、ミカエル・ミロンはドイツで3度目の世界選手権の タイトルを勝ち取りました。 クラブの名声は最高潮に達しました。マスコミは彼が2002年に亡くなるまでチャンピオンを追いかけました。 彼に敬意を表して協会はそれ以来ミカエル・ミロン・ロシュ空手という名称になりました。

5.M.M.L.K.(ミカエル・ミロン・ロシュ・空手)

2004年9月、クラブができて20年になりました。
フランスの空手の3代表、ドミニク・ヴァレラ、チエリ・マシ、アレクサンドル・ビアモンティがミカエルを讃えて特別の研修会の無料指導にやってきました。 以下はミシェル・ミロンによって紹介されたロシュのCOSEC体育館です。

6.2004年9月、ミカエル・ミロンを讃える研修会

2008年、ミシェル・ミロンは協会を引退し、その少し後で協会はロシュ空手道になりました。

2012年9月8日、ミカエル・ミロンの死後10周年を追悼する式典がロシュで企画開催され ました。聖霊降臨祭の研修会が開かれたときと同じモーリス・アキロン・センターの芝生でミン・ダク、ジョナサン・プラニョルそしてジュリアン・デュポンの指導の下に懇切丁寧に研修がとり行われました。

7.2012年9月8日、ミン・ダクの指導による研修会

8.ジュリアン・デュポンとジョナサン・プラニョル

9. F.F.K.D.A.の会長フランシス・ディディエ氏とロシュ市長ジャン・ジャック・デカン氏の挨拶

今日までにロシュのクラブは34の黒帯を育成しました。 ミカエルが残した桁外れな偉業は模範として残り、彼を知る人と一緒に歩んできた人によって新たな会員に受け継ぐ努力がなされています。  

10.2012年9月の記念研修会のポ スター